クラス内ヒエラルキーと「暗殺」――『暗殺教室』第1話「暗殺の時間」

 脚本:上江洲誠 絵コンテ:岸誠二 絵コンテ清書:木野目優 演出:向井雅浩 作画監督:山形孝二、アミサキリョウコ

原作範囲:第1巻第1話

 昨日の『冴えない彼女の育てかた』に続いてまた原作読者という目線にはなるが、2012年の連載開始から約2年の時を経て遂にTVアニメ化となった本作『暗殺教室』の第1話が予想以上に良いものだったのでこの文章を書いている。

 本作のアニメ化を担当したのは岸誠二上江洲誠のタッグだ。僕の弟はこの二人のタッグが好みで良く観ているのだが、対して僕は岸上江洲作品というと『人類は衰退しました』と『結城友奈は勇者である』を完走しただけで、他は何話か観るくらいだったのでさほど期待をしないまま観ようとしていた。

 原作第1巻第1話をベースとした本エピソードは作品の世界観とテーマを提示しながらも殺せんせーの感情と伏線を散りばめていた。原作を尊重しようとする岸監督らしさがふんだんに盛り込まれながら、「アニメーションという多媒体で表現された本作」を的確に描いている印象を持った。

 本エピソードにおいて中核を成すのはクラス内ヒエラルキーと暗殺という行為だ。前提として殺せんせーを暗殺する為に暗殺者として育成される、という状況が本エピソードで紹介されたのだが、それと同時に主人公・潮田渚の自意識とクラス内ヒエラルキーが描かれた。寺坂らによって渚が脅され、自爆テロを仕掛けにいかねばならぬ状況を作り上げたクラス内ヒエラルキーはこの3年E組という閉ざされた世界において最も重要なものとして作用している。

 自爆テロという自分の命を犠牲にしてまでもターゲットを殺そうという手段を取るまでに渚が追いつめられていたのは単に寺坂たちが怖かったから、という話ではない。「エンドのE組」と呼称されているクラスに飛ばされた渚が本校時代に周囲にいた人物や親などから迫害・差別されたことは間違いなく、その上で寺坂たちのような人間に虐げられることで今の「ポーカーフェイスな自分」を作り上げてしまっていたのだ。

 岸上江洲タッグの作品で『AURA ~魔竜院光牙最後の戦い~』という映画がある。拙論でも引用したことがあるのだが*1、本作ではそれより更に深くクラス内ヒエラルキーを描いている。というのも、『AURA』ではクラス内を中心に描くものの、結局は主人公とヒロインの「きみとぼく」の話となってしまい中二病というものの境遇を描くための一要素としてしか作用していなかったからだ。脚注1の拙論では中二病を取り扱った作品にはその要素は欠かせないと書いたが、それは中二病が中軸となった作品の話であり、本作のように暗殺といった他のテーマを中軸としている場合はその限りでない。本作においては3年E組という閉ざされた世界のヒエラルキー=クラス内ヒエラルキーを描くことで渚らの状況を示した。

 

 とはいえ、本作は「週刊少年ジャンプ」に連載中の漫画であり、そこまで暗殺を真剣に描いた漫画ではない。いや、真剣ではあるが『ヨルムンガンド』などのような方向性ではない作品なのだ。ギャグもあるし、シリアスもある。クラスと殺せんせーを中心に成長を描いた一種のハートフルストーリーだ。僕自身も原作ファンなので、今後の話数も期待したい。次回は野球回だ。

*1:「TVアニメ版はフェイクである 『AURA』『俺修羅』から考える」(群馬仁編『アニバタ Vol.6 【特集】最近の京都アニメーション」所収)