小説『私たちの編集点――二人のノイズ・コネクション』

作者注:この物語はフィクションです。現実の団体や個人とは関係がありません。

 

01 By詩織

「お疲れ様でしたー!」

 春は寧温なれど、肌寒し。カーディガンを羽織っても少し冷えるけれど、ちょっと薄着でいたいそんな季節。今日は来月から始まる新作アニメの収録だった。まだ放送前だと言うのに第十話の収録だ。プレスコ収録だから早いのだ。そんな収録で朝からスタジオに入って、終わったのは夕方になった今。同じ番組のキャストと少し談笑してから帰路へ着く。明日も新作の収録があるし、今もバッグの中に入っているその台本をもう少しくらい読んでおきたい。

 スタジオから出ると、春風が吹いた。薄着の私から体温を奪っていく。一緒にスタジオを出た人たちも寒そうにしている。スタジオの中では切っているスマホの電源を付けようと、バッグから手繰り寄せる。スイッチをオンにするとつい数分前に友達の石川綾香からLINEでメッセージが届いていた。急いで既読にして返信を打ち込もうとする。

『今からご飯食べに行かない?』

『行こう行こう』

 私は嬉々として文字を打ち込んでゆく。飯に誘ってくれるなんて可愛いやつめ。いきなり誘ってくれたのは何か話があるからだろうか? 沖縄に行く話か、金沢にもう一度行く話、それとも……? ……考えていてもキリが無い。思考を打ち切ってもう一度画面を覗くと早速綾香からレストランの名前が送られてきていた。前行ったことのある場所だし、このスタジオからも近い。私は足取り軽やかに駅の方向へと向かっていった。

 あと何駅で、綾香に会えるだろう?

 

02 By綾香

 詩織から快諾のメッセージが来て安心した。私は笑みを浮かべながらスマホの電源を切る。一度家に帰ってからレストランに向かう位の時間は残っているだろうか? もう一度スマホを付けて確認して再度切る。無さそうだから、近くのブックオフで漫画を読んでから、ちょっと早く着くように向かおう。それが最善の選択だ。

詩織とは、これだけ毎クール毎クール新作があっても同じ現場で顔を合わせることが少ない。最近では私たち二人がパーソナリティのラジオ番組のことを知ってか、どちらかがメインを張っている作品にもう一方がモブ出演ということもあるけれど、そんなに無いのは確かだ。というかそんなに熱心なリスナーの音響監督さんがいたら引くよ、確実に。けれど来月から始まる新作には熱心なリスナーな監督が私たちをメインで起用した作品がある。これで毎週詩織に会えるのはとても嬉しいことだ。監督曰く本作でも弾けた演技とアドリブ期待してます、だって。私、そんなに弾けてることやった覚え無いんだけどなぁ……?

ともあれ、今から詩織とディナーデートだ。気持ちが昂って仕方がない。詩織といると楽しい。本当にその気持ちが、私は好きだ。

 

03 By詩織

「ややっ、お誘い頂きかたじけない」

「ややっ、そりゃどうもどうも」

 互いにふざけた一言目から会話を始めて私が笑う平日夜の大戸屋のテーブル。二人とも明日は朝から仕事があるからお酒は無しの定食だ。綾香は魚で私は豚。あと一品メニューを少しずつ頼んだ。

「で、綾香は何で今日一緒にご飯食べようと思ったの?」

 お吸い物を啜りながらそんなことを不意に聞いてみた。考えを打ち切ったものの気になっていたのだ。

「え? 単純に私が仕事終わったら詩織と一緒にディナー行こうかなーって思って、誘って、ここに来ただけだよ。それとも詩織は何か用事が無かったら一緒にご飯食べちゃダメ、とか思ってたの?」

「いや、そんなことはない。けど……」

「けど?」

 なんだよ、不意にそんなこと言われたら照れちゃうじゃんよ。

「あ! 詩織の顔赤くなってるー!」

 その一言でもっと赤くなってしまったのは言うまでもない。

「見なくてよい!」

 そのまま二人で一緒に笑う。あはははははは。本当に楽しい。こんな二人だけの他愛もない日常が、いつまでも続けばいいのに。

 笑い過ぎて涙、出ちゃった。

「綾香、ありがと」

「どういたしましてっ」

 

04 By綾香

 あのディナー以来詩織とどこにも行けてないな、と頭を過ったのはもう翌月になろうとしている時だった。私も詩織も忙しいから、ってのは互いに承知してるし、忙しいのは仕事を頂けているという意味でもあるから、生き残ることが大変なこの業界では本当に凄いことなんだけれども。私を初めて主人公に据えてくれたスタジオのある京都の方向には頭を向けて寝られない。映画の舞台挨拶の時に共演者の人もそんなことを同席していた監督に言ってたし。詩織も言ってたっけなぁ。今思い出したけどあの時の舞台挨拶でステージに出たとき、あやちゃん面白かったよー泣けたーって観客のみんなが言ってくれて嬉しかったなぁ。あれ、なんか涙出てきちゃった。思い出し涙ってあるんだね。まぁ、涙を拭いて、この話はやめよう。最初に何を考えていたっけ。あ、詩織のことだ。

 自宅で布団にうずくまりながらスマホに電源を付ける。画面上の時計はちょうど日付が変わろうとしていた。明日からもう翌月、とさっきと同じことを考えてみる。そう、もうあと数分で翌月になるのだった。

 ん? 私は思いつく。あと数分でやって来る明日が“あの日”なら。

 思い立った瞬間にスマホのロックを切り、LINEを立ち上げる。いつものグループじゃなくて、詩織との個別のやつ。他愛もない会話が続けられているそれに、私は時間を見計らって爆弾を投下する。よし、時刻が零時を指した。

『私、実は彼氏がいるんだ』

 ねぇ、詩織。私にカレシが出来たとしたら、どう反応してくれる?

 

05 By詩織

 あのディナーから数週間が経って、もう翌月になろうとしているそんな夜。

 あれからラジオの収録とか、新作アニメのプレスコで会ったりはしたのだけれど互いに忙しくて遊んだり(決してデートじゃないぞ!)どこかに行ったりはできなかった。それでもLINEとか電話はしていて、それが私たちの唯一の心の拠り所――なんつつって。

 アフレコスタジオから帰宅して自宅のリビングに倒れこみ、そのままだらだら過ごすこと早数時間。ソファで寝ている状態から壁時計を見上げると針は既に次の日を指していた。

 あー、もう三月が終わっちゃったかー。綾香とあのディナーしか行けなかったなー。

 そんな最中――私のスマホが震えた。アフレコからずっとマナーモードにしていたから、バイブで受信を知らせてくれる。LINEの通知らしい。私はそれを開封する。

『私、実は彼氏がいるんだ』

 そんなメッセージが画面に表示された。差出人は、綾香。

 いきなり、それもこんな深夜に言われてどう反応すればいいのだろう。とりあえず私はそれを冗談と判断して軽めに返信を送る。

『嘘乙(’・ω・*)』

 すぐに既読が付いて返信が送られてくる。

『信じてよおおおおお』

『またまたー もっとマシな冗談つきなよ(’・ω・*)』

 軽く流してみるも、いつもの綾香なら私に嘘はつかない、はずだ。信じているということを思い出した。もし、これが本当だったら? そんなことを考えると、私はコンピュータがフリーズしたみたいに、思考停止に陥ってしまう――。

 私は綾香にカマをかけるようなメッセージを送ってみた。

『もし、それが本当だとしたら相手は誰なのさ。杉澤さんか、松木か』

 とっさに思いついた二人は私たちのラジオの構成作家とプロデューサーだった、というだけの話だったのだが、これで相手の名前が挙がらなかったら冗談だとわかる。もし、冗談だったら理由はわからないけど……。

 既読マークが付いて数分経つ。相手の名前を出すだけなら数秒で打ち込めるだろうに。

『ほら冗談じゃないか嘘乙嘘乙(’・ω・*)』

やっぱり冗談か、と思ってそう打ち込もうとした――あ、来た。

『話すと込み入っちゃうから、また今夜にディナー行って、その時で良い?』

 ちょっと考えてから打ち込む。

『うん、いいよ』

 

06 By詩織

 私は自分から爆弾を投げたのに逃げるなんて、と自暴自棄に朝から陥っていた。その自暴自棄のせいで今日のアフレコ現場では音響監督さんやキャストのみんなに心配される始末だし、本当に自分で自分に嫌気が差す。

 何であんなこと聞いちゃったのかな?

その考えを即座に否定する。私は詩織の気持ちを知りたかっただけなんだ! 本当にそれだけ、だったはずなのに……。しかも、直ぐに詩織が追及して終わりだと思っていた。けれど、あっさりとその手を止めるなんて。

誤算、だった。

 私は前と同じ大戸屋の前で俯きながら、詩織を待っている。時刻は一九時ちょっと前。なかったことにできないか考えをめぐらすも、それはムリという結論に辿りつくシークエンスを何回も行う。もう、なかったことになんて出来ない。最終手段として、冗談だったと素直に告げる手があるが、それは嫌われてしまうかも、と私の本能が告げている。つまるところ、深夜のテンションでどうかしてたのだ。それでいて、こんな場所まで作ってしまって……。馬鹿、馬鹿、昨夜の私の馬鹿。

 自暴自棄になっても過去が変わるわけでもないし、ここから逃げ出せるわけでもない。それが自分の撒いた種とはいえ本当に辛い。

 そして――詩織がやってきた。

「待った?」

「いや……全然」

 ちょっとテンションを持ち直して、詩織のトークについていく。心なしか、詩織のテンションもいつもより低い。大戸屋に誘導され座る。

「で、昨日のあれってどういうこと?」

 一品メニューなど、一通り頼んだものが届いて食べ始めると、詩織からその話を切り出してきた。声のトーンはいつもより低めだった。

「そのままの意味。――彼氏ができたの」

 私は俯きながら、そう答える。目線の先にあるほっけの焼き物がやけにライトの反射で輝いていた。

 これで良かったのか? 昨夜の迂闊な考えとは真逆に、ネガティブ思考で思考する。どうすればいいのか――どのルートもバッドエンドに直行なのは確実だった。

「だったら、私じゃなくてその彼氏とこういう所に来たら?」

 そう言われて、私はようやく詩織の方に顔を上げる。よく見ると詩織はぷるぷると体を震わせて、涙を落としていた。

「……そんなこと、言ってほしくなかった。綾香は嬉しいのかもだけど、私はそれに乗れないよ、ゴメン」

 詩織は持っていたフォークを置いて、荷物を持って扉へダッシュした。私はその一瞬の出来事に反応が出来ず、店から出ていくのをただ眺めているだけしか出来なかった。そして、当然の報いだと後悔するしか私には出来ることがなかった。

 

07 By詩織

 逃げてきて、しまった。もう後戻りはできない。

 綾香がいつもより本気のトーンで「彼氏がいる」と言ってきて、私は何も考えることが出来なかった。とっさに出た反射行動が、逃走だった。

 私たちの他愛もない日常がいつまでも続けばいいな、と最初に思ったのはいつだっただろう? その思いは虚しく、もう終わりを告げたのだ。綾香の隣には名前も知らない彼氏がいて、綾香の隣にいるべきなのは私ではない。

 何で、綾香は私にそんな残酷なことを告げたのだろう? 出来ることなら言って欲しくなかった。例え偽りでも、この関係が続けば良かったのだ。

 暗い部屋で虚空を見つめる。目線の先には仕事の日程を記したカレンダーがあって、今日の日付と明日の日付を確認する。今日は――何もできなかった。

「あ、明日の収録、どうしよ……」

 明日の収録は例の綾香と共演するプレスコだった。アドリブパートがかなりの率を占めるから、その時のテンションがダイレクトに響く。テンションと、部屋の温度は比例して低くなり、灯りひとつ点していない自宅は私の心中を表現していた。

 私はベッドの上で体育座りを続ける。放置したスマホに綾香からメッセージがもう数十件も届いているが、読まずに放置する。

「そういえば、今日、ラジオの放送日だ……」

 思い出すも、いつものように実況する気が起きない。綾香のメッセージがどんどん追加されていくスマホを開くも、いつものように「起きなさい」と文字が打てない自分がいた。

 どうしよう、辛いな。

 その思いのまま、なんとか『起きなさい(’・ω・*)』とツイートし、ベッドに寝転がった。

 このまま綾香とのラジオを聴くのも今は辛いけど、今夜はリスナーのみんなに癒されよう。

 

08 By綾香

 詩織が逃げ出した日から数日が経った。あの日からずっと自己嫌悪に陥っている。

 全ては私が悪いのだ。詩織に気持ちを尋ねたいのなら普通に聞けばよかったまで。なのに、あんな聞き方をした私が悪かったのだ。そのせいで詩織と共演する新番組の収録もいつもとは違う感じになってしまうし、共演したキャストには本当に迷惑をかけてしまった。あの回は本当にアドリブがうまくいかなくて、詩織の顔も申し訳なくて直視できなくて……。今考えても、反省しかできなかった。

 今日はあの日以降初めてのラジオの収録だった。自宅から文化放送に向かう足取りが重い。このテンションのまま、また収録を行ったらどれだけの人を迷惑させるだろうか。それが重く圧し掛かっていた。

 収録の前に全て言ってしまおうか。そうでもしないと収録に差し障るのだ。毎回二週分の収録で、それをどっちも潰すなんてことはできない。悪いのは、私だ。でも言えるかどうか、今の私には自身が無かった。

 文化放送に着くとスタジオまでの間では否応が無く知り合いにあってしまう。エレベーターで乗り合わせたのは杉澤さんだった。

「こんにちは」

「こんにちは」

 挨拶を交わして、下を向く。罪悪感に苛まれ、立っているのが精一杯で会話なんて出来なかった。唯でさえ詩織に合わせる顔が無いのだ。冷や汗が滴り落ちる。

「……何か悩んでるなら、すぐに解決した方がいいよ。時間がたてばたつほど、意気地になっちゃうから」

「――へ?」

杉澤さんが不意に私の方に真剣な眼差しで声をかけてきた。私は素っ頓狂な声で応える。

「早めに解決しないと、どんどん精神蝕まれちゃうから。俺は何十年もラジオの業界にいるけど、蝕まれて辞めていった人なんていっぱい知ってる」

「……」

「戯言だと思ってくれていいよ。単に、そういう状態で録ったラジオは面白くないっていう自分勝手な思いだから」

「……ありがとうございます」

「ただの自分勝手な戯言だって。それじゃ、行こっか」

 そう残して杉澤さんは降りていった。後ろ姿は凛としていた。

 エレベーターに一人残された私は杉澤さんの言葉を噛み締めていた。そうだ、ここでラジオを潰したら私だけじゃない、スタッフだけじゃなく、リスナーのみんなにも関わるんだ。

 私は今までの考えを改めて収録ブースに向かう。扉を開ける。皆に挨拶する。台本を貰う。続いてリスナーからのメールをチェックする。今日ばかりはこれに励まされそうだ。そしてマイクの前に座り、詩織を見る。

 ここで全てを明かすのだ。

 ブースの外から「それでは本番行きます」との声が入る。私と詩織はヘッドホンを付けて、ジングルの入るコールを待つ。十秒前……五、四、三……。

 ヘッドホンからいつものジングルが流れてくる。今日、詩織は歌わない。モノマネもしない。けれど、それはすべて私の招いたことだ。私は顔を上げて詩織へと視線を向ける。そして――。

 今日も、収録が始まる。

 

09

綾香 はい、こんばんは、西川綾香です!

詩織 みなさん、こんばんは、兵部詩織です!

綾香 288回目の放送がスタートしました。

詩織 この番組は私たち二人が新たなアイデアを軽快でハイテンションなトークを交えつつ生み出していくバラエティ番組です!

綾香 ……私、詩織に言いたいことがあったの。

詩織 ……ん、何?

綾香 前、夕食に一緒に行ったじゃない、あの時に言ったこと、全部だったの

詩織 ……ホント? それって綾香に彼氏ができたって話だよね?

綾香 うん、嘘。ごめん。

詩織 (泣きながら)良かった……。ホントに綾香に彼氏が出来て私との関係が崩れるんじゃないかって思ってたんだ……。

綾香 私が普通に詩織に「私の事どう思ってる」って聞けばよかったのに、見え張ったばっかりに……

詩織 そんなの、普通に聞けばいいじゃんよ!

綾香 答えは?

詩織 もちろん好きだって!

綾香 (抱擁して)ありがと、詩織。

詩織 こちらこそ……!

あとがき

 あとがきです。ウミノです。お久しぶりです。初めての方は、初めまして。

 この小説は某同人誌用に執筆し没を頂いたものを元にしたもの――要するに没原稿です。多くは語りませんが、没にされるには十分の理由でしたし、キャラクターを描くところが甘かったなぁ、と自覚しているので没にされたことはむしろその同人誌に載せて恥を晒すことにならず良かったなぁ、と思っています。没にされた後、キャラクター名や一部描写を加筆修正したのが本作『私たちの編集点――二人のノイズ・コネクション』になります。以上の経緯がありまして、本作は数か月ハードディスクに眠っておりました。ですが、これは同人誌に出来るものでもないし、そもそもが没原稿なのだから、ということでここに載せることにしました。だから駄作だ、とか貶さないでね!

 去年は例年に比べて創作作品をあまり発表できませんでした。というのも、『巫女学校物語』シリーズのシナリオであったり、未発表作品の脚本・構成をやっていたことが大きな比率を占めるんですが……。今年は何かしら大きな作品を世に問うことが出来そうですので、よろしくお願いします。まず、三月くらいに所属するゲームサークル・Breadの方で新作短編を発表する予定です。媒体は未定ですが、構想しているストーリーならば戦闘描写がある僕がいままで書いたことがないジャンルになると思います。

 では。