創作の最初はパクリから始まる――『冴えない彼女の育てかた』

 タイトルだけだと語弊があるかもしれません。

 『冴えない彼女の育てかた』の第1話にて、加藤恵と運命的な出会いを果たした主人公・安芸倫也はそのまま恵をメインヒロインとしたゲーム企画を立ち上げ、凄腕同人漫画家である澤村・スペンサー・英梨々と天才ラノベ作家である霞ヶ丘詩羽にその企画を見せに行きます。しかし、初めて書いた企画書ですから自分が影響を受けた作品のオマージュ、もといパクリばかりの内容になってしまい没を食らいます。

 この行動は他のラノベ原作アニメでも描写されることが多々あります。創作をしよう、と消費型オタクから生産型オタクに転身しようとしたときに自分が多大な影響を受けた作品の特徴が出てしまう、という行動です。例えば『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』に登場する材木座義輝もその行動を起こした一人です。自分が書いたライトノベル原稿を主人公らが所属する奉仕部の面々に見せに行きますが「これって何のパクリ?」と言われています。

 これはプロの世界においても多いことで、明確にパクリとまで言われていなくても「あの作品の影響を受けまくっているよなぁ」という描写のある処女作というものは多くあります。そのまま他作家の作品による影響から抜け去り自分を確立できればいいんですが、抜け出せない作家もよくいます。これまで数千冊の小説を読んできた中にも「影響受けまくっているなぁ」と頭に過ぎった作家は少なからずいました。それでもその大半の方々は作品を刊行していくうちにその色から抜け去って行ったものです。

 ですが抜け去ることなく、というか半ば確信的にパクリをしてしまう作家もいます。2010年に電撃文庫より刊行された哀川譲俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長』は多作品の描写をそのまま流用して絶版・自主回収になりましたし、2011年に月刊少年ガンガンに掲載された松浦大貴『コンプライアンス 絶対法隷都市』も多作品の設定や台詞を流用したために賞が取り消しになりました。

 この記事で僕が何を言いたいのかというと倫理君――安芸倫也はパクリをしたことは意図的じゃありませんし、誰もが通る道だということを言いたいのです。もちろんこの先もパクリを続けていたらダメですけれど、まぁ、そうはなりません、当然です。

 かくいう僕も小説やシナリオを書き始めた当初はパクリばかりでした。最初に書いた刑事ものは『428 封鎖された渋谷で』『SPEC』の影響が強いですし、その後に書いたSFものは『フラクタル』と『海の底』です、いや恥ずかしい。今書いているものも少なからず多作品の影響はありますがストーリーラインはオリジナルです。とはいえ書いている途中に発表された某TVアニメとストーリーラインが酷似してるんですよね、どうしよう。

 とっ散らかった文章になりましたが、僕個人の意見としては「最初はパクリになるのは当然。そこから個性が出ればいい」という感じです。二次創作からオリジナルに飛んだ作家なんて山ほどおりますし。倫理君がこれからどんな個性=色を出すのか期待して観ていただければ(原作読んでると分かっちゃうのがイヤなところですね)。

 ……ってか何で僕は別にこの描写が責められていたわけでもないのにこんな駄文書いちゃったんでしょうか……