ノイタミナは加藤恵を求めている?――続・何故『冴えカノ』をノイタミナで放送するのか

 過去記事からの発展。

 過去の記事では「この創作物が規制強化される今、敢えて同人ゲームという舞台から描く。その上、第0話から裸をてんこ盛りにすることで視聴者を煽るが、実は熱い物語。そう考えれば、ノイタミナで放送する意義、第0話があのような描写であったと納得できないだろうか?」と言った。

 だが、第2話の放送を観て考えが変わった。

 第2話は原作小説の展開を変えてきて、アニメならではの見せ方をしてきた話だった。『生徒会の一存』のTVアニメ第1期で桜野くりむが言ったように「メディアの違いを理解」した作りであったが、原作小説読者の上えりりん好きとしては「何が萌えバトルアニメだあああああぁぁぁぁぁぁ~~~!!!」という原作第1巻122Pのセリフとシーンが無いことが悔やまれる。あ、もしこの先の話数でこのシーンが復活したら掌返す。

 この話において考えたのは、プロデューサー陣が『冴えカノ』をノイタミナでやる意味として考えていたのは、まずライトノベルアニメやギャルゲーアニメファンの取り込みであることは間違いないだろう。『WHITE ALBUM2』や『パルフェ』のファンは丸戸史明作品だからもちろん観ているだろうし、現に僕のTL上にもそういう視点から観ている人は何人かいる。

 そしてノイタミナがギャルゲー路線を開拓する第一歩だ、と過去の記事では書いていたがこの考えが変わった。確かに森彬俊プロデューサーは『ROBOTICS;NOTES』から『冴えカノ』、『パンチライン』へと進んでギャルゲー路線の作品をやりたいのだろう、ということは公言している。その上で『冴えカノ』という作品に白羽の矢を立てたのは、従来のノイタミナファンに本作に登場する加藤恵のような寛容さを持ってほしいからではないだろうか?

 恵は主人公・安芸倫也に全く縁のなかったギャルゲーをプレイさせられ、自分が倫也の考えるギャルゲーのメインヒロインになることはどういうことかと理解するのが第2話の骨格だ。そのシーンにおいて恵は不満こそ言えど拒むことなく寛容な心を持ってプレイし理解しようとしている。その姿はマジで健気。どこが冴えないんだ!

 そのようにギャルゲーに関して知識を持っていない立場から恵という寛容さを兼ね備えたフィルターを通すことでこれからの作品を観てほしい、という願いを込めて『冴えカノ』をノイタミナで放送しているのではないだろうか。

 ……こうやって『冴えカノ』はノイタミナでやる意義が何かしらあるとは思うんですが、『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』はホント解らないんですよね……。個人的には僕が好きな作品ばかりやってくれて嬉しいんですが……。